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Q&A形式にしてみました。



━━━獣医師になったきっかけはなんですか?

父親が歯科医でしたから、何となく医学系に進むのかな、と子供の頃から思っていました。兄が歯学部に入学したので、自身は獣医学部を目指しました。
高校生の時何かのテレビで米国の動物病院についての紹介があり、ずいぶん日本の動物病院と違うなと思ったのが原因だったのか、なにかの拍子に「獣医学部を選びたい」と父に言ったところ、3日後には、Yesの返事を貰いこれ幸いということで選びました。
なんとなくこれからの時代は、動物の医療がより社会に受け入れられると思ったからです。それにいつでも動物といっしょにいられる職業で、医学関係であると理由で、この職業にしました。




━━━獣医師として一番心掛けていることはなんですか?

飼い主が一番心配していることがらを、私の持っているすべての獣医学の知識を総動員して説明することです。
そのためには、日夜の勉強が欠かせません。
説明は飼い主が望む医療レベルで、幸せに感じる心が持てるように心がけています。まずは自己の持てる最高の医療レベルの診断、治療をお勧めして、どの程度のレベルで医療を行なうかを選んでもらいます。
また診療技術が進むにつれて、より高度な診察となるために、同時に診療態度の向上も 同時に心がけています。




━━━なぜ24時間緊急診療(365日年中無休)の動物病院をオープンしたのですか?Doticon_blk_NEW.png

私の父は歯科医を開業していました。今から47年ぐらい前の出来事ですが、今でもよく覚えています。ある夜のこと、おばあさんと娘さんが玄関で「すみません、歯が痛くて、お願いします」と言って立っていました。私が父に「今、患者さんがきているよ!」と伝えると、父は「今いないと言って」と言いました。私はおばあさんに「今、父はいないのですが…」と伝えるとおばあさんは冷やしたタオルをあごに当てながら「すみません、痛くて、痛くてお願いします、お願いします」と辛そうに言います。気の毒に思い、父にもう一度「断ってもお願いしますと言っているよ!」と伝えましたが、父は「だめだめ、夜は見ない」と言うだけでした。おばあさんに再び父の不在を伝えると悲しげな顔で帰っていきました。その時いっしょにいた娘さんの、おばあさんを気遣う不安そうな顔は今でもはっきり覚えています。その後、おばあさんに「まだ氷あるの?」と問い掛ける声が聞こえてきました。残念そうに帰る、その後ろ姿を見て、私は何とも言えない気持ちになりました。あの頃は夜間開いているコンビニもなく、その後どうしたのかな?今でも思います。その後のその夜の記憶はありませんが、起きた翌日に心に決めた事がありました。「よーし、僕が歯科医になったら、絶対、夜も診察するぞ!」
当時、私は歯科大学受験を控えた学生でした。幸か不幸か、兄が歯科大学に行ったので、私は獣医大学に行き、予定の米国での修行を終えて、動物病院を開業することになりました。開業当日から24時間緊急診療、年中無休で診療し、それを今日まで37年間続けているというわけです。もし私が歯科医になっていたら、当然、24時間診療の歯科医院を開業していたでしょう。それにしても、今でもなぜ歯科には24時間緊急診療(365日年中無休)の病院がないのか不思議ですね!
米国での修行中、24時間の動物病院にはいろいろドラマがあり、楽しかった思い出が山ほどあります。働く仲間たちといろいろな話ができる時間があったからです。みんな本気で自身の将来を語るからです。
でも夜勤をする(日本は6人に1人が夜勤者です)と、3倍「癌」にかかりやすいとの医学報告 があります。男性は「前立腺癌」、女性は「乳癌」が代表的な癌だそうです。昔から夜勤をする看護婦さんは「乳癌」にかかりやすいと疑われていたようです。 ですが心配いりません。米国のスーパー等で売っている健康食品「メラトニン」(日本でもインターネツトで海外のものを売っています)を飲むと予防できるとの医学の報告 (ラットに癌細胞を植え込み、夜寝かせない群は、すぐに癌細胞が増殖するが、メラトニンを投与した群は寝かせなくてもなかなか癌細胞が増殖せず)があり、私は10 年程前から寝る前に、毎日飲んでいます。




━━━思い出に残る人との出会いはありますか?

出会った多くの獣医師にみな思い出があります。ほんとうにみな獣医学が好きなんだと関心します。
特に獣医学を学ぶために行った米国の獣医師 の一人一人がすべて思い出いっぱいです。その2年間は獣医学のみならず、人と動物の結びつきも学びました。その頃にまだ学生だった人達がもう専門医となって活躍している姿が印象的です。
帰国して開業後37年経ち、 その間にも米国の大会などに100回以上参加して、合計の米国の滞在日数は5年以上になりますが、私が日本に帰らなくて米国に残ってい たら、今頃何をしているのだろうか?今と生活はどう違うかな?と思うと、感無量となります。




━━━動物病院へ行く、飼い主にアドバイスを!

まずは、自身の人生を総動員して、これから診察するDrが信頼できるDrであるかを判定し、自身の納得の行く方法で診察を受けることをお勧めします。
あくまでも自身の希望を 言って、できるだけそれをかなえてくれる獣医師を捜すと良いと思います。また費用においても良く相談して、自身のライフスタイルに合致するような手段を選ぶべきです。医療だけは遠慮しなくて良いのです。
思った方法が得られるか、その可能性を聞くべきです。それには、あらかじめ病気に対する情報を得ておくとさらに良いと思います。そして選んだ方法に科学的な根拠があるかを聞く(本来医師が話すべきこと)べきです。できればその証拠となる資料(獣医学の教科書や解説書等)のコピー等を貰いましょう。そこまでしないと良い獣医療は受けられないかもしれませんから。




━━━愛読書があればお教えください。

専門の獣医学書の購読が毎月30冊以上来ますから、読むのが大変です。また最近は専門書以外も多く読みます。その他医学系の雑誌や、ビジネスの月刊誌 (President、Newsweek等)、週刊誌(週刊ダイヤモンド、週刊朝日等)その他、いろいろな種類の単行本、政治経済、マネージメント、英語に関する本を、しかし一番読むものは新聞です。産経新聞を中心に朝日新聞と日本経済新聞を、朝にじっくり風呂に入りながら40分読みます。
単行本は月に50冊ぐらい、そのうちの40冊は、週に2回あちこちのブックオフで買う105円の中古本です。ブックオフには読書における人生設計において感謝しています。
新刊書は週に2回行く本屋さんで買うか、主にはアマゾンで月に10冊以上買います。月に100冊は溜まるので、速読でも習得しようかなと思っていますが、ざっとみて直ぐ何が書いてあるか意味を取る訓練をしています。




━━━動物病院のマネージメントの秘訣はなんと思いますか?

質の良い医療を提供するためには何が必要かを考えるのが一番でしょう。その為には、まずは働く仲間たちの境遇を良くして、その延長線上で、飼い主にも良い医療が 提供できるものと思います。働く人たちと飼い主の幸せを望む気持ちが、病院を成長させると信じています。究極には飼い主を幸せにすることです。
次には、質の高い医療の提供、働く職員の再教育、予防的獣医学の実践と応用、人 と動物の関係(絆中心の獣医学)、ITから始まる、始める動物病院が、5大重要点です。それには動物病院の運営のシステムを改善することが一番重要だと思いま す。
これはあくまで理想ですが、成功している人達は相手の利益を中心に考えて、あまりお金のことを考えていないようですね。これが究極 のマネージメントと思います。




━━━日頃どんなことに心がけていますか?

実際、いつもしている、本を読むこと、コンピューター、診察、手術(6500例以上)、講習会の講演(過去700回以上)か参加(過去2000回以上)で、一生が終わりそうですが、いつもマインドを持ち続けているので、たいへん若く見られます。先日来た米国の外科専門医には「35~40歳ぐらいだと思っていた」と言われました。どうして若いのかその秘訣を教えてくれと言われ、いろいろ伝授しました。




━━━健康法についてお教えください。

なるべく近所のお店に、町を見回りながら歩いて食事に行くことを心掛けています。あとは午後7時のNHKのニュースを見ながら、毎日ルームランナーでスロージョギング(話せる程度で、ゆっくり歩く)30分、その後は腕や脚に、千年灸をして、匂いを楽しみます。
時間がある時などは、テレビを見ながら、手や脚を疲れるまで上げたままに したり、足先を良く揉み自身で体をマッサージします。
また唾をよく飲み込むようにしています。努めて体を温めるようにしています。くびと名の付く、首筋、手首、足首を巻いて暖めます。靴下は夏でも5本指ともう一枚で2枚、冬は3枚です。
冬は生姜湯を飲み、毎日風呂に入り体を温めます。
健康食品としては、メラトニン、脂肪酸(スクワレン)、レスベラトロール(Resveratrol)を飲んでいます。また最近は呼吸法にも興味をもっています。太らないように心掛けています。もし何か食べたくなったら、自身に気合を入れて呼吸を整えるか、好きな歌謡曲(岩崎宏美のロマンス等)を聞くと、治まります。




━━━趣味についてお聞かせください。

いろいろあってたいへんです。
一番は今も昔も読書と旅行とコンピューターにはまっています。どうしても待ち?の職業ですので、おのずと待機しながら趣味と実益を兼ねる傾向になります。
主に旅行は海外出帳です。米国本土(70回以上)グアム(30回以上)ハワイ(35回以上)その他、オーストラリア(15回以上)韓 国、台湾、中国、ヨーロッパへ10回以上行っています。毎年の海外の獣医学の大会や講習会への出席が年7回以上ありますので、これは旅行と実益を兼ねています。
またLos AngelesからLas Vegasへの往復のドライブを楽しんでいます。(過去70回以上)、LasVegasでのBlackjack(過去200回以上)の参加も趣味ですが最近はあ まりしません、楽しむより真剣になると疲れるから、楽しんでやっています。カウンテイングしないでストラジーだけで勝率は7割前後です。
Los Angelesの GardenaのPacific Square やトーレンスのミツワ、Farmers Market、で食べ歩きを年に3回以上します。この時はなにも考えず、1日車で移動してはただただとことん疲れるまで、歩き続けます。定宿はNew Gardena Hotelですが、最近はMiyako hybid Hotel at Torrenceにも泊まります。
将棋(日本将棋連盟認定初段)、囲碁(遊び程度)の相手は主にコンピューターで、殆どすべてのソフトを買い揃えほぼ毎日1-2局はしています。
マジック(学生時代はプロフェショナルを考えたが)は、大学に入る前は池袋西武、徒町の松坂屋の奇術売り場でアルバイトをしながら習いました、マジックの 師匠は日本奇術協会の高野さん(お元気ですか?)と北見マキさん(私のこと覚えていますか?とうとうマジック界の大御所になりましたね、今は陰ながら応援 しています)今はもう見て楽しむ方に転向しました。ゆえにLas Vegasでは、昔を思い出しながら、いろいろなマジックショーを見て楽しんでいます。
また昔はボーリングにもはまりました。吉祥寺ボウリングセンターの大橋プロに教えてもらいました。その他サーカスやフラメンコ、歌劇を鑑賞するのも大好き です。特に小劇場で行なわれる公演が好きで、こんなに少ない観客で大丈夫なのかなといつも心配しながら見ています。東京ディズニーランドの小劇場は特に大 好きです。人生の節目にはディズニーランドに行って、サービス業とは何かを、わくわくどきどきしながら、遊びを兼ねて学んできます。
コンピュー ターは95年からMacから始めましたが、2000年にWindowsに代えました。ゲームから始めましたのでまだそのくせあってか、スパイダソリティア (どんなに忙しくても毎日10回以上します、これシカゴ空港でやっていて飛行機乗り遅れたこともあります)と将棋と囲碁にはまっています。
コンピューターは家にいる時は、普段使用するノートブックを、大画面の24インチのモニターとキーボードに接続して使用しています。ブラウザーはFirefoxを使用して、G-メールを活用しています。これに切り替えてから、とても満足しています。
歩きまわることを心掛けています。また最近は韓国ドラマの歴史物にはまっています




━━━後輩の獣医師に送る言葉は?

飼い主とのコミュニケーション力向上を目指すこと。これには聴く力も必要です。ITに精通することと同時に、英語を学ぶことでしょう。獣医学の情報は何といっても英語からが中心ですからね。まずは犬猫の解剖用語を250すらすらと英語で言えることを目指すべきです。インターネットの 情報の70%は英語ですから、それらを読まないと、遅れないでついていくことがむずかしくなります。できうれば外国の専門医の通訳ができるように訓練すると良いですね。私は過去に日本、米国、オーストラリアにて通訳を50回程した経験がありますが、まだまだ未熟さを感じます。これは基本から英語を勉強しなかったからで、獣医学を学ぶためにぶっつけ本番で現場に出てがむしゃらに覚えただけだからと思います。これからの若い獣医師は基礎から学んで欲しいと思います。知識だけならコンピューターに負けますから。
また心掛けてほしいのは、人(時に動物)に会ったらできるだけ挨拶すると運命が好転するようです。やはり人間社会は「初めに言葉あり」だからでしょうね。それとコンピューターで日記を書いて自己の成長を記録することをお勧めします。




━━━好きな言葉や格言は何ですか?

一番心がけている格言は、「志ある所に道あり」 “Where there is a will , there is a way“です。「いつでも夢を捨てずに、ある目標のために努力し続ける」と解釈しています。
また「夢と冒険と反省そして、偶然の力を待ちます」の心も持ち続けています。
まあ待つことには慣れていますので、偶然の力を信じています。いわゆる頭は獣医学、身体は人間学です。現在は競争より、競合の時代となりつつありますの で、みなで動物病院の社会に対する役割を担って、前進したいと思います。
また私はお酒や煙草をしないので、人生が半分しかわからないので、長く太く生き続けるようにしようと努力しています。




━━━今興味あることは何ですか?

動物と関係している人達がいろいろとインターネット等を通じて知りたいこと、一番心配していることがらを、私の持っているすべての獣医学の知識を総動員して説明することに興味があります。世の中のその道の専門家、みながそうすれば、みなに役立ちますよね。時に動物の病気や、動物病院の情報は極端に少ないですから、どんどん情報を提供するための努力を惜しみません。
そのためには、日夜の勉強が欠かせません。説明 は飼い主が望むレベルで幸せに感じる心が持てるように心がけています。また診療技術が進むにつれて、より高度な診察となるために、同時に診療態度の向上もどうすれば良いかいつも考えていますが、診察時の短い時間でどうやって、信頼関係を築けるかをいつも考えています。
人間はどうしても1対1で話すと、心のバリヤーで警戒されるのでしょうか?1対多数だと信頼されるのにね。これは永遠の課題のようです。このため初めての人でもまずは、インターネットで私のことを少しでも知ってもらって、会う前から知り合いになる?(芸能人みたいに?)ことを現在は心掛けています。
みなさんよろしくお願いします。



・・・・・・有意義な人生を目指して
・・・・・・人生設計と人生計画
・・・・・・夢と思い、冒険と反省、
     偶然を待つ力の人生の旅

●コンピューターで日記をつけること。(カレンダーを利用、検索できる、写真、記録できる)

●夢の予定を記載する・・・・・
長短、1週間後、1ヶ月後、1年後、3年後、5年後、10年後
その内容、クリックすると
         ↓
自分の5年後の夢、10年後の夢、20年後の夢
夢の実現1・・・毎年10回の海外旅行(毎年達成)
夢の実現2・・・毎年6回の国内旅行 (毎年達成)
夢の実現3・・・米国に動物病院開設を再挑戦 (5年後Las Vegasにて)
夢の実現4・・・米国の専門医になること(ABVP)(5年以内)
夢の実現5・・・電気自動車に乗り換え
夢の実現6・・・アスレチッックジムに入会
夢の実現7・・・国会議員になること(無理かな?)

●将来の自分にメールする・・・・・
1ヶ月後、1年後、3年後、5年後、10年後、25年後

●感動の記録ベスト10をつくる・・・・・
毎日のベスト3、月、年、10年単位等

●定年後にする予定の20項目を考える

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  • 人生感激のベスト1
  • 私の人生の感激のベスト10の中の「No1」は、今から32年程前の、米国研修時代の体験です。
  • ロスアンゼルスに来て、電話帳でAAHA認定病院を探し、手紙と電話で無給での研修を頼みこんだ病院の、研修4ヶ月目頃のある日、私の居た部屋の周りのスタッフが、一人ずつ呼ばれて居なくなり、最後に私一人だけになりました。あれ、みんなどうしたのかな? 今日は何か重要な会議があるのかな?まあ私は日本から来た押しかけ研修生だから、関係ないだろうから、呼ばれないのだろうな?と思っていたら、最後に私も呼ばれました。あれ?私もなの?と思って呼ばれた部屋のドアを開けると、中は薄暗く、入ると、急に明るくなり(スィツチが入る)そこにはスタッフ全員がいて、テーブルの真ん中に、私の名前の書いた大きなケーキと数本のローソクに明かりが灯り、クス球が割られ、スタッフ全員が私に対して、Happy Birthday to Dr,Komiyamaの大合唱でした。
  • これはもう感激を通りこして、溢れ出る涙を抑えるのに苦労しました。日本男児泣いてはならぬと思い、とても苦痛?でさえありました。
  • この忘れえぬ感動の体験は、私の日記帳の「人生感激のベスト10」の記録の、いまだトップにあり、生涯変わることはないと思います。
  • このことがあったためか、半年で、外科の専門病院へ移る予定でしたが、結局1年そこの病院(General Practice)で無給にて奉仕活動をすることとなりました。このときは動物病院のみならず、いろいろな地域の奉仕社会活動に参加して、米国の社会の仕組み、人との絆の大切さを学び、今日の病院経営に役立てています。

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  • 人生危機一髪のベスト1
  • あれは1976年で丁度米国が二百年祭の時でした。そのころはカルフォルニア大学のデービス校の外科の実習生になって3ヶ月目、サクラメントに住んでいました。
  • 夜中の2時頃、急に卵入りのインスタントラーメンが食べたくなり、卵を買いにコンビニに行きました。商品を見ている時、「パンパン」と音がしたので、なんだろう?と音のした方向、レジの方に視線を向けると、まさに強盗がレジの店員にピストルを突きつけて、お金を要求しているところでした。
  • 店員がしぶしぶ幾らかの現金をレジから出すと、強盗は札をもぎ取り大急ぎで逃げて行きました。
  • 他にはお客が3人。1列に並びみなその光景を見ていました。店員は泣きそうな顔で、「みなさん、すべての商品に触らないでください。警察を呼びますので、退出してください」と言いました。我々が出ると、すぐにお店のドアに鍵がかけられました。
  • テレビ等でピストルは「バンバン」という音だと思っていたので、床で跳ね返った弾が「パンパン」という軽い音で以外でした。強盗の指先にはスコッチテープが貼ってあるのが見えました。
  • 一瞬の出来事からか、なぜか恐怖はまったく感じませんでした。
  • 気を取り直し、卵を買うため寄った別のコンビニで、「さっき行ったコンビニで強盗にあった」と言ったところ、「あっ、そう」とそっけない返事だったことを覚えています。

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  • 人生危機一髪のベスト2
    これも同じ米国のサクラメントでの1976年の出来事、モーテルを利用した時のことです。夜寝る前にベットの前に置いた、時計と財布がなくなっているのに、翌朝気がつきました。眠っていたときになんとなく、ドアがバタンと閉まったのを覚えていたので、その時に盗られたと確信しました。
  • その時は隣の部屋に、デービスに米国の国家試験を受験するために勉強に来ていた日獣大出身の獣医師、木沢千佳子先生(彼女は合格し、その後Los Angelesにて開業、最後の日本は1996年10月27日に日本伝統獣医学会にて招聘され講演、その後、癌が転移して、残念ながら、1997年に他界しました。合掌)も宿っていたのですが、夜中に誰かが部屋に入ろうかどうしようか窺っている気配を感じたという話でした。犯行時刻に、彼女はまだ、勉強中で起きていたのです。朝、モーテルの管理人に「急いで警察に連絡してほしい」と言うと、「あなたの部屋もですか?」と言われ、同じモーテルで何人かが被害を受けたようでした。
  • 間もなく来た警官に、「財布にある運転免許証も盗られた」と言うと、「再発行に行きなさい」と警官。そこで、「これから出かけるが、現地までの運転は、免許なしでいいのか?」と尋ねると「良い」と警官。「その途中で他の警官から免許の提示を求められたらどうするのか?」と続けて尋ねると、その警官少し考えて、「もしなにかあったら、この盗難にあった証明書を見せればOK!」と紙切れを目の前に差し出しました。
  • なにか日本とずいぶん違うが、現実的な対応だなと感じました。

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